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キャラに合わせなきゃ
7月6日(土)。椿の「フォークな夜」に参加してきた。でね。今回はいつものアングラ系の曲以外に「ふつうのフォーク」を1曲ご披露。「ふつうのフォーク」ってのも妙な表現だけど、「フォークソング」と言って多くの方が思い浮かべる、かぐや姫や吉田拓郎、井上陽水…などなど、いわゆるメジャーヒットした曲。で、そんな中から私が選んだ曲は、学生バンドをやっていた当時の懐かしい曲、NSPの「さようなら」。学校は違えど同じ高専の2級先輩である一関高専の学生バンドがPOP-CONでみごと優勝を果たし、私たちのバンドでも頻繁に演奏した思い出深い曲である。でもね。バンドと弾き語りではずいぶん勝手が違うし、これが意外と難しい。演奏しているときはさほど思わなかったけれど、椿のマスターがアップしてくれたYoutubeをあらためて拝聴してみると全然ダメ。やっぱり弾き語りには向いていないし、私のキャラにも合っていないし。いわゆる「ふつうのフォーク」は歌唱力も必要で、ヴォーカルの能力と練習が乏しい私にはやはりこれが難関である。どうやら私は、と言うか、やはり弾き語りは弾き語りにふさわしい曲を選ぶのが良いかも…とあらためて思った次第。でなきゃ、たんなるコピーでは学芸発表会みたいになっちゃう。たとえ曲はカバーでも、どこかに演者のオリジナリティがなきゃってね。唐突に難しい話をするけれど、たとえばロックなどは歌詞は聴き取れなくても音楽として成立する。むしろ歌詞などはなくても良いくらい聴き取れない。一方、弾き語りはなにゆえ「弾き歌い」ではなく「弾き語り」と称されるかと言うと、それだけ「言葉を伝える」ことが重要なのだと思う。すると必然、オジサンはオジサンの感性で伝える言葉にこそ、もっとも説得力がある。もちろん青春歌謡がけっしてダメってわけじゃないけど、難しいのは事実。自分の思いを自分の言葉で語るオリジナル曲を作れればベストなのだろうけれど、音楽センスのない私にはムリ。だから、やっぱり選曲は大事だと思う。…ただし、これはあくまでも私だけの持論。音楽ってのは人それぞれの考え方、楽しみ方があってしかるべきで、またそういう自由さが音楽の本当に良いところだと思う。あ、肝心なことを書き忘れた。そういう「音楽を楽しむ」っていう意味で、クックハウス椿はサイコーのステージ。ふだんはブルースがメインなんだけど、著名なアーティストたちも頻繁に出演。ときには今回の「フォークな夜」みたいに、私のようなド素人でも参加できるステージも設けていただけるし。なんと言っても、当人も卓越したブルースマンであり音楽大好きな千葉オーナー、ママさん、そしてここに集まる人たちがみ〜んな音楽好きで良い人たちばっかりで、私みたいな者でも快く向かえ入れてくれる温かい「空気」がとっても好き。「フォークな夜」はほぼ2ヶ月に1度のペースで行なわれるんだけど、私にとっては、楽しみのひとつというよりもむしろ生き甲斐のような存在。毎回意気込んで参加して、毎回トチって凹んで…なんだけど、それでも楽しい「フォークな夜」。大好きだ。
↑撮影:MCしま〜氏
↑ひさむらこうじ(なぜか出演者リストは「yocoの社長」)は40:04〜
↑撮影:MCしま〜氏
↑ひさむらこうじ(なぜか出演者リストは「yocoの社長」)は40:04〜
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やはり私に「美しい歌」は難。冒険し過ぎでした〜(>_<;