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デジタル化の功罪を考える
今日は抜けるような青空の好天気。というわけで、急遽とある施設の撮影となった。通常、仕事の撮影はプロの商業カメラマンに委託するのだが、カメラマンを使う予算がないとき、カメラマンのスケジュール調整がつかないとき、私の撮影でもなんとか賄えそうなとき…などは私が撮影することも。今日の撮影は天気を見て今朝とつぜん決まったので、カメラマンを手配する余裕もなく必然的に私が撮ることに。午後イチバンの校正と夕方の静岡での打ち合わせの間に、ちょうど少しだけ時間があり、この間を使って撮影することにした。ところが、この撮影。クライアントの20名ほどの協力を必要とし、この撮影のためにわざわざ時間を割いていただかなくてはならない。好天の屋外というこの上ない好適の撮影条件なので、まず100%失敗はあり得ないのだが、万が一にも失敗は許されないので、とても緊張した。帰社後、急いで画像をチェックして、ちゃんと撮影されているか確認したことは言うまでもない。それにしても、ずいぶん楽になったものだと思う。カメラがデジカメになって。かつて昔フィルムで撮影した頃は、撮影後に現像屋さんに会社へ連絡してフィルムを取りに来ていただいて、その翌々日にポジが仕上がってきて、ようやく写真の状態を確認。それまでは、ちゃんと撮れていたかどうか不安でいっぱいだったし、現像の失敗も心配しなくちゃならなかった。余分な写り込みの消去や画像補正もフォトショップでチョチョイのチョイ。フィルムの時代と比べると雲泥の差である。仕事が楽になった分、というか、それ以上に制作料金も下げられているので、もちろん諸手を挙げて喜べる話ではないんだけど、日程の短縮やプレッシャーの軽減という点で、デジタル化の貢献度はじつに高い。これはほんの一例だけど、この他にもデジタル化によって仕事のやり方が変わったことは多々。でも、イチバンの違いは、人と人との有機的な繋がりだろうか。思い返せば、ひとつの仕事をこなすのにより多くの人の手を介した昔のほうが、社会のコミュニティがもっと豊かだったようのな気もする。
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