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ゼロ戦と呼ばないで
私は子供の頃から零戦が好きで、プラモデルは初期の二一型から三二型、最終の五ニ型まですべて作り、中学生時代は零戦に関する書物を読みあさった。零戦はきわめて優秀な戦闘機で、まだ複葉機が主流だった時代に登場。中国大陸では破竹の勢いで戦果を挙げ、善し悪しは別として、これが軍を勢いづけた遠因となったことは容易に推測できる。零戦の最大の特長は、徹底した機体の軽量化。これにより、それまでは考えられなかったほどの航続距離を誇り、予備タンクを付けることによりさらにその距離を伸ばすことに成功した。当初、零戦からの攻撃を受けた米軍が「きっと近くに空母がいるはず」と空母を必死に探した…という逸話もあるほど。そして軽量化のメリットのもうひとつは、空前絶後の旋回能力。仮に敵機にうしろにつかれても、クルッと旋回して逆に撃墜してしまうことができた。逆に弱点は、その装甲の薄さのため、撃たれると簡単に撃墜されてしまうこと。そして悲しいかな、戦争末期には優秀なパイロットがほとんどいなくなり、空中戦の技術を持たない急造の若手パイロットたちが、零戦とともに特攻兵として戦地に散っていくことになった。ついつい零戦の話で熱くなり過ぎたが、戦艦大和や武蔵、長門とともに、第二次世界大戦を語る上で欠くことのできない戦闘機。それが零戦であろう。ところが最近、この零戦がテーマとなった映画「永遠のゼロ」(私は観ていない)が公開され、ゼロ戦という呼び名がこのまま定着してしまいそうな気運にある。でも私は思うんだよね。零戦の正式名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)。米軍のコードネームはZEKE(ジーク)、通称“ゼロファイター”。敵国用語を禁止していた日本海軍が自ら“ゼロ戦”と呼ぶとは考えづらく、やはり正しくは零戦(れいせん)であろうと。映画のタイトル「永遠のゼロ」に違和感を感じたのは、もしかしたら100人中1人ぐらいかもしれないが、私はまぎれもなくその内の1人である。
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