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マスコミ報道に違和感が
先般の大津のイジメ、今般の大阪の体罰。生徒を自殺に追い込んでしまった社会背景に問題がないとは言わない。が、マスコミの取り上げ方の異常さには違和感を感じる。イジメも体罰も昔からあった話。それをさぞ大事件のごとく大々的に扱い、正義面した論説者たちが「我こそが正しい」と言わんばかりに加害者である生徒や教諭、教育委員会らを批難する。たとえば今回の大阪の体罰に関して、パーフェクトリバティー教団の某元プロ野球投手が「体罰に対して愛情を感じたことはいちどもなかった」と語っていたが、それは彼個人に限った話で、世の中の体罰がすべてそうというわけではない。実際、私が育った時代は体罰はアタリマエであったが、ちゃんと愛はあった。若干20歳で、学生気分の抜けぬまま会社に入社した私は、しょっちゅう先輩社員から叱られて、ときに殴られることもあったが、そういう先輩こそ飲みに連れていってくれたり、いっしょに遊んでくれたり…とても可愛がってくれた。のちに私にも後輩ができ先輩社員となったとき、人を叱るということがいかに精神的に重いことであるか…を知った。某元プロ野球投手はさらに「体罰を受けていた頃はごく普通の選手だった」とも語っているが、たまたま花開いたのが体罰を受けなくなった高校時代というだけで、「もしかしたらスパルタがその成長の礎をなっていたかもしれない」ということに気づくべきだろう。かと言って、生徒を自殺にまで追い込んだスパルタ教師を、私は擁護するつもりはさらさらない。昔から「飴と鞭」と言われるように、体罰を与えるならば、その2倍も3倍もの愛情を注ぎ、生徒との心の交流をしっかりと計るべきで、それを欠いたのは教師として人として失格と言わざるを得ない。ただ、とてもイラだつのは、現場にまったく即していない論説者たちが、いい子ぶって身勝手な批判をし、この悲しいニュースを飯のネタにしていることである。ならば、見なきゃいいって?…そりゃま、ごもっとも。
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