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論調ってこわい
哲学や法学を学んだ者なら誰もが知っている2つの真理、“sein(ザイン)”と“sölen(ゾレン)”。わかりやすく言うと“不変の真理”「〜である」と“可変の真理”「〜であるべき」ってことだけど、これについて最近思うんだよね。論調ってこわい…って。前者のseinは、時代を超えて万国共通。だが後者のsölenは、国が違えば、そして時代が違えばホントさまざま。まずは国。たとえばトルコ。政府と反政府勢力が対立して大騒ぎになっているけれど、宗教的な思想もからんでどっちが正しいとも言えないし、どっちも正しいとも言える。どちら側の人にとっても、自らが主張する意見こそが正義なのだ。これと似ているのが、尖閣諸島や竹島の領土問題(公式には“領土問題は存在しない”ということになっているので、領土問題って言っちゃいけないのかも)。これも日本、中国、韓国それぞれに主張が異なるが、それぞれが自分の主張が正義と信じる背景には自国内の教育や論調によるところが大。だからまったく噛み合ない。だが、希望がまったくないわけではない。それはsölenの真理は時代とともに変わり得る…からだ。たとえばタバコ。私は愛煙家だから余計にそう感じるのかもしれないが、最近の“愛煙家叩き”はかなり辛辣。あたかも極悪人であるかのような、かなり強烈な意見のカキコが目立つ。私が言いたいのは、その内容のことではない。時代による変化である。かつて昔、喫煙者が50%を超えていた時代には禁煙・嫌煙なんて意見はほとんどなく、当然のものとして容認され、むしろ麻薬の抑制に繋がるとして推奨さえされていた。ところが時代が変わり、喫煙者が減り嫌煙権を主張する者が増えると、今度は一転。タバコは悪行と評価が変わった。要は、人は自分と同じ意見を持つ者が増えれば増えるほど「これこそが正義」と、より強く思うようになる…ということだ。正義ってのは常に不変ってわけではなく、世の論調によってコロコロ変わる。極論を言えば、たとえば「戦争すべき。反戦を唱える者は非国民」なんていう論調が世の大勢を占めれば、それが正義となる…ということだ。結論が最後になっちゃったけど、私が言いたいことは、つまりこういうこと。「自分が正しい」と信じていることも、一歩引いて相手の立場になって見てみると、意外な解決策がみつかるかも…って。でしょ。

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PROFILE
HN:
久村孝治
年齢:
68
性別:
男性
誕生日:
1956/03/02
職業:
広告制作会社 代表取締役
趣味:
ギター、ラジコンヨット、仕事
自己紹介:
30歳にて広告代理店を退社し独立。以降、四半世紀余り広告制作会社を営む。モットーは、仕事も遊びも楽しくマジメに!
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