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遠い将来も見据えて
家内いわく。そこに現に原発があり核燃料があるのだから、いまさら止めても同じじゃん。確かに一理ある。原発がある以上、たとえ稼働していようがいまいが危険性があることに変わりはない。しかし、それは現世代での話。子どもや孫たちの遠い将来を考えたとき、莫大な国家の借金のうえに、さらなる大量の核ゴミと危険な建造物という負の遺産をこれ以上増やしてはならない…と私は思う。大々的には報道されなくなったが、福島第一原発事故による核汚染は収まるどころか広がる一方。本日午後も3号炉から謎の湯気が発生し、この詳細も原因すらわからぬ状況。先の通常国会では人知れずこっそりと環境法の改悪法も可決され、原発事故の原因究明もされぬまま作られた新たな安全基準で、全国の原発再稼働への道が開かれようとしている。事故後はあれほど盛んだった反原発の声も、いまでははるか遠い過去のことのことのように静かになった。これにはマスコミをはじめ、それぞれにそれなりの配慮や思惑があってのことらしい。が、原発事故の悲惨さを描いた映画「朝日のあたる家」の監督・太田隆文氏に言わせれば、言わぬは原発賛成と同じこと。これは私も同感である。百歩譲ってもし原発の再稼働もやむなしとするならば、万一事故が起きた場合の住民の避難先、生活補償、各産業界への損失補償などの責任を、誰がどのレベルで行なうかをキッチリ明文化しておくことが不可欠。現世の一部の原発ビジネスの利権者たちだけのために、たいせつな私たちの孫子の世代を犠牲にすることは許されない。それこそが、いまを生きる私たちに課せられた責務であろう。
原発がなくても電力は足りる。
原発がなくても電力は足りる。
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