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公権力の行使は慎重に
人が人の命を奪うことが正当化される戦争は、断じて許せない。これに準じて言えることの、もうひとつ。それは人が人を誤って裁く、いわゆる冤罪である。先般、味噌製造工場一家殺人犯として死刑判決を受け、長きにわたり投獄されていた元ボクサーの再審請求が認められ釈放された。この事件は私が若い頃からずっと、たびたび冤罪の可能性が大であることを問いただされてきた。にもかかわらず、これまで再審請求が認められなかったのは、人ひとりの人生よりも裁判所や検察のメンツが重んじられてきたからにほかならない。たとえどんなに賠償を受けようとも、失った人生は返ってこない。大切なたった一度きりの人生なのに。過日、PC遠隔操作事件の犯人がつかまり、彼のオウンゴール的な行動により事件は一挙に解決の方向へ。だが、この事件に関し私が気になるのは、真犯人が捕まる以前に誤認逮捕された4人のうち2人が、警察の取り調べでなんと「自供」をしてしまっている…という事実。先の味噌製造工場一家殺人事件の頃は、警察の強引な取り調べで冤罪が数多く作られてしまったことは周知のことであるが、現代においても、その本質はあまり変わっていないのではなかろうか。公権力というのは絶大である。公権力を司る者は、その意義をよく考えて慎重に事にあたっていただきたいものである。冤罪は誰にもあり得る話。そういう恐怖心に怯えながら暮らす社会は、けっして「法と秩序に守られた社会」とは言い難い。
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