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過日、親戚でご不幸があり、急きょ神戸まで行くことになった。クルマで行くか電車で行くか迷ったが、時間のこと、体力のことを考えて電車で行くことにした。エキタンで調べてみると、菊川から新神戸までの所要時間は約2時間半弱。目的地までは、さらに地下鉄で約35分。計3時間ほどで行けることがわかった。当日の朝は「ぜったい寝坊してはならぬ」と普段では考えられぬほど超早起きをするが、これが裏目に。身支度を終えたところで時計を見ると、出発までにはまだ若干の余裕が。で、コタツに入ってしばし休憩…と思いきや、いつしかそのままうたた寝。ふと気づくと電車の出発時刻まで30分しかないではないか。我が家から菊川駅までは15分〜20分程度。しかしクルマを停める予定の市営駐車場から駅までは、徒歩で約5分。これに駅の窓口で切符を買う時間を加えると…あわわわわ。大慌てで家を飛び出し、なんとか間に合ったけど、道中はハラハラどきどき。映画「ミッションインポッシブル」のクライマックスシーンよりも、富士急ハイランドの「フジヤマ」よりも、はるかにスリリングであった。しかし、そのとき私はまだ知らなかった。その後にもっと過酷な時が訪れることを。嫌煙権が世にはびこるこんにち。駅のホームに喫煙所なく、電車はもちろん吸えない。ひと昔まえであれば乗り継ぎの際に一服なんてこともできたけれど、いまではそれさえもできない。結局、新神戸に着くまでの約2時間半は、禁煙を強制されることに。ヘビースモーカーにとって、これはキツイ。ようやく新神戸にたどり着き、駅の喫茶店に入って吸ったタバコが、なんと旨かったことか。葬儀を終えて深夜に事務所に戻り、のんびりとタバコをくゆらせながら私は思った。タバコを制約されることなく吸えることの幸せを。そう。仕事だって、過酷な山が谷があるから、それを乗り越えたときの開放感があるのだ…と。また明日からがんばらねば…と。
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ちょっと意外なアンケート結果がネットに載っていた。「人をグーで殴ったことがありますか?」の問いにイエスが27.1%、ノーが72.9%。男女別ではイエスと答えた男性が39.7%、女性が13.5%とのこと。しかし、私の経験からすると、男性ならばおそらく100%近い方が殴り合いの喧嘩を経験していると思うのだが…。中学生時代や高校生時代の、とくに若い頃に。当然ながら私もその例外ではなく、初めて人をブン殴ったのは中学2年生のときで、相手はクラスの同級生。班の活動をみんなが一生懸命やっているのに、まったく非協力的でふざけて遊んでいたので腹が立ってつい手が出ていた。必然的に殴り合いの猛喧嘩になったが、素手で人を殴ると自分のこぶしを痛めることも、そのとき初めて知った。学校で殴り喧嘩してきたことを私は両親に告げなかったが、制服の汚れぐあいから、もしかしたら察していたのかもしれない。相手の顔はひどく紫に膨れあがり、翌日親が我が家に猛抗議に来たけれど、「頭だけ下げておけ。お前が悪いんじゃないことくらいわかっている」と親父が言ってくれたのが嬉しかったことをいまでもはっきり覚えている。言葉よりもまず先に手が出てしまうのは、いま思えばやはり若さかも。学生時代はちょうどツッパリが流行りで、喧嘩をすることがカッコ良い、男らしい…そんな風潮の時代。だから町へ遊びに出るときは「ガン飛ばし」にはいつも気をつけていた。そして、いざ喧嘩になりそうになったら、まずメガネを外し、すぐにポケットのライターを取り出して握る。チョーパンが飛んでくる至近位置には立たず、必ず間合いを取る。そんなことを常に意識していた時代だから、むしろ殴ること殴られることを経験していない人は少ないのではなかろうか。けっして人を殴ることを肯定するわけじゃないけれど、昨今の「いじめ」を考えると、人に殴られることや人を殴ることの痛みを知らないことが、かえって人に対する優しさを失わせているのではないか…という気もする。社会人になってからも先輩からお叱りのパンチを何度か喰らったりしたが、それこそ「愛の鞭」であり、いまでも良い思い出のひとつ。学生時代の喧嘩であれ、会社での指導であれ、いまの時代ではおそらく問題となってしまうのだろう。ちなみに、このアンケートによれば年代が高いほどイエスの回答率が高いとのことだが、これも生まれ育った時代背景の違いかも。TVゲームでいくら暴力的なゲームをやろうとも、生身の喧嘩の痛みはわからない。みぞおちにパンチを喰らうと息が詰まってしばらく動けなくなることも、顎や頬にパンチを喰らうと口全体が痛くて飯が喰えなくなることも、口にパンチを喰らうと唇が異様なほどに腫れ上がることも。回復の呪文や復活の呪文なんてものは現実の世には存在しないのだ。ふと、そんなことを考えされたアンケートの結果であった。さてさて。でね。私がいまいちばんブン殴ってやりたいのは、パソコンのキーボードを掃除しようと思いOAクリーナーを吹きかけて、キーボードを壊してしまった私自身である。このクソ忙しいときに…。ばっきゃやろー!
「向井理&大島優子、SPECに参戦」な〜んていうネットの記事を見つけた。え?!なんで芸能人がAPECに?…と思い、よくよく読んだら、SPECというドラマのタイトルだった。パッと見で私はてっきりAPECと勘違いしちゃったんだけど、まぎらわしいよね。横文字の羅列は…。そもそもいま話題のTPPだって、その実は、ホントのところはよくわからない。もともと環太平洋諸国にはAPECがあるのにさ。かなり関連は強いと思うけど、なぜかAPECとTPPはまったくリンクしていないらしい。ま、もっとも、そんなこと私が悩んだとてどうにもならないことだけど…。私が悩むべきは、クライアントにいかに迷惑をかけずに、この年末の繁忙期を乗り切るか。ただそれだけである。
あの忌まわしい大震災から、ちょうど丸2年。地震、津波という自然災害の上に、さらに原発事故という人災まで加わり…空前の大惨事となったが、その重大な人災の責任はいまだ誰もとっていないのはなぜだろう。事故直後の約800兆ベクレルからは劇的に減少したものの、毎時1000万ベクレルのセシウムがいまだに放出され続けていることを、私たちは忘れてはならない。廃炉までの40年の工程表にしたって、将来の科学技術の進歩を見込んだ(期待した)ものであり、現実には“絵面事”に近い。一説では、その廃炉費用は少なくとも1000億ドルかかり、被害者への賠償金支払いや近隣地域の汚染除去でさらに4000億ドルが必要になるとも言われている。これでも原発がもっとも経済性に優れた発電と言い張る、安倍首相や原子力ムラの方々の神経が私には理解できない。やはり、そこまでしてもプルトニウムの確保が重要なのだろうか。私たちの日本は世界で唯一の被爆国として“ノーモアヒロシマ”を訴え続けてきたハズだし、これからも率先して訴えていくべきだと私は思う。原発とその大量の核廃棄物の処理と、アベノミクスによりいっそう膨らんだ借金財政。もう十分である。これ以上、孫子の世代に負の遺産を残すのはヤメにしてほしい…と切に思う。そんな今日3月11日。
事故への取り組みに関する工程表
事故への取り組みに関する工程表
フジテレビが突如、歌番組における口パク禁止の方針を打ち出し、物議を醸している。理由は、口パクの歌手(アイドル?)があまりに増え過ぎてしまったためと、歌手であるからには生歌で歌うべき…という歌番組として本来あるべき姿を取り戻すことにあるが、はて、いかがなものであろう。口パク映像が観たいのなら、TVじゃなくてミュージックビデオでも観ればいいじゃん…と常々思っている私にとっては歓迎であるが、となると、いまや歌番組常連の、AKBや、一部を除くジャニーズ系など、かなりの多くのアイドルたちはどうなるのか。出演を辞退するのか、あるいは放送事故覚悟で生歌に切り替えるのか。他のテレビ局がこの動きに追従するのか否か。今後の動向がとても気になるところ。結局フジテレビ側が折れて、口パク禁止を撤回してしまう…なんていう最悪の結果も懸念されないではないが、いずれにせよ、現代の歌番組に対する問題提起として、これはとても素晴らしいことだと私は思う。