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憲法の尊厳はいずこへ
もうみんなは忘れてしまったのだろうか。45年ほど前の、あの学生運動を。現在総理を務める安倍くんも私も、当時はまだ中学生であった。学生運動の元となった理由はいくつかあるが、そのうちのひとつに日米安保条約の自動延長に対する反対があった。ときはベトナム戦争のまっただ中。集団的自衛権を有する韓国は、米国とともに参戦し多くのベトコンを殺戮することに。その集団的自衛権を我が日本も持とう…ということで、いま国会は揺れている。戦後70年近く、これまで日本が培ってきた平和維持に対する考え方を180°転換する話であり、多くの国民の関心事であることは間違いない。そもそも私は、この集団的自衛権という名称が相応しくないと思う。たとえば中東で有事があれば、石油の流通に支障をきたし、しいては国民生活に影響を及ぼすという理由で“自衛”として参戦できる。何が自衛で何が自衛でないか…は、ときの政治家の判断にゆだねられるので、先般の震災復興費用が無茶苦茶な屁理屈で震災復興にまったく関係ないところに使われてしまったのと同じように、理屈次第で世界のどこにも参戦できることになるわけだ。だから、正しくは集団的参戦権もしくは集団的交戦権と呼ぶべきであろう。自衛権という言葉はマヤカシである。もちろん、こんなことを言ったら多くの国民が反対することは必至であるから、これにさらに“限定的”という言葉を付加して国民の納得を得ようとしているが、これもまたマヤカシ。限定とする基準はどこにもなく、これもまた政治家の判断次第。で、肝心のこの集団的自衛権が是か非かということであるが、それは人それぞれの考え方によるところなので、ここでは触れない。ただ、こういった発想そのものが、憲法をあまりに拡大解釈し過ぎ、あるいは憲法そのものを蔑ろにするものだ…という意見もあり、これには私も同意見。なぜなら、自民党の先生方があたかもあたりまえのように語る「集団的自衛権の発動範囲は国民が選んだ政治家が判断する」という論法は、あまりに横暴。そういう政治家の勝手な判断による戦争突入を回避するために憲法があるのだ。45年前、かつて安保闘争を戦った学生戦士たちはすでに還暦をとうに過ぎた。いま声を上げるべきは、この集団的自衛権の影響をもろに被る若者たち。AKBやジャニーズにうつつを抜かしている場合じゃない…と思うんだけどなぁ。
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