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年度末が忙しいのは当然だけど、今年はとくに異常。あらゆる仕事が切羽詰まってしまって。で、夕べはそれぞれが抱えている仕事のために、姐さんも私も徹夜。メシを喰う時間すらなく、朝飯も昼飯も抜いて。そんなところへ、たまたま事務所に遊びに訪れた友人が「この歳になると、とても徹夜なんかできないよ」とボソッとつぶやいたのに対し、「できるとかできないの問題じゃない。やるしかないんだから!」とイラ立ちをぶつけてしまった。おそらく焦りと空腹がそんな言葉を発せさせたんだろうが、これには自分でもおおいに反省。そうこうしているうちにクライアントとの約束の時間が迫り、大慌てでカンプや資料をバッグに詰め込んでいざ出発。高速を飛ばせばなんとかギリギリセーフ…と思い先を急ぐが、えてしてこういうときは順調にはいかぬもの。ふとルームミラーを見ると、そこには赤色灯をつけた黒いセダン。いわゆる覆面ってやつ。おかげで徹夜の眠気はすっ飛んだけれど、結局クライアントとの約束の時間には間に合わず。かつ、ちょいと痛い出費と相成った。でも、考えてみれば、これにより事故を未然に防いでくれたと思えば安いもの。たとえ、どんなに急いても、やはり安全運転は励行しなくっちゃね。事故を起こしてしまったのでは元も子もない。そんなことを思いつつ、焦る気持ちとは裏腹に、ややノンビリめの運転に心がける私であった。
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猛雪のなか己の命と引き替えに娘の命を救った父親のニュースと、虐待で幼い娘の命を奪った父親のニュースが、くしくも並んで載っていた。ひとつしかない尊い命をどう捉えるか、それは人によって異なるのかもしれないが…。とても複雑な思いである。
暴風雪:命賭し愛娘守る…風を背に10時間抱き続け
6カ月の娘を揺さぶり死なせた疑い…父親逮捕
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さすがにこの歳になると、歳をとること自体はけっしてうれしいことではないのだけれど、それでも一年に一度必ずやってくるのが誕生日。私にとって昨日がその日。還暦の足音が聞こえ始める57歳になった。そんな昨日は偶然にも、数ヶ月に一度開催されるクックハウス椿さんの「フォークの日」であり、いつもどおりギターを持って参じた。出演順は基本的に抽選で決まるのだが、同行した事務所の姐さんが「早めに歌って飲みたい」とのことで出演順の変更をした。そのときはよくありがちな話と思って気にもとめていなかったんだけど。サプライズは、その姐さんのステージの3曲目。とつぜん“Happy Birthday”が歌われ始めて。誕生日ケーキが運ばれてきて、壱萬円札がいっぱいついたレイを首にかけられて。ただし、この壱萬円札はオモチャで、実際にオカネとして使うことはできない。本音を言えば、たくさんのオモチャの壱萬円札よりも、1枚の本物の壱萬円札のほうが良かったけれど、それは贅沢というもの。いやぁ、それにしてもまったく予期していなかっただけに、この演出には超ビックリ。姐さんの出演順変更の理由も納得。聞けばこのサプライズのために前日から密かに準備が進められていたとか。冒頭にも述べたように、この歳になると誕生日そのものにはたいした感激はないけれど、みんながこうして祝ってくれる…その気持ちがとってもうれしい。昨日は57歳の誕生日。おかげさまで思い出深い良い日になった。みんなみんな本当にありがとう。

昨日の昼食に、過日いただいた秋田土産の「きりたんぽ」を食した。初めて食べたけどモチッとした食感がとても美味かった。この「きりたんぽ」のほかにも、懐かしい“風”の音楽CDや、友人の「ソロギターCD」、事務所の姐さんの定番「煮込みハンバーグ」等々…最近うれしいイタダキモノがたくさん。なかでもいちばんのイタダキモノは、とあるアドバイス。「ギター演奏の際に、ひとつふたつ本来弾くべき音と違う音を出しても聴く人はさほど気にならない。もし間違った音を出しても7割方は和音として成立する」という言葉。なるほど。言われてみれば確かにしかり。クラシックなどの厳格な音楽ではゼッタイ許されないことであろうが、私が演じる“なんちゃって音楽”ではじゅうぶんアリの話。これを知ったことは私にとって大きな収穫で、それはそれは心強いものであった。そう考えるとライブ演奏中の運指のミスもさほど恐ろしくはないし、曲のアレンジの方法さえ大胆になれる。3月2日の椿の「フォークの日」に披露すべく新しく練習に取り組み始めた曲を、これに従ってさっそく自分流にアレンジを変えたら、予想以上のできばえに仕上がった。要するに、弾けない音のためにそこでつまずいて曲を壊すより、弾ける運指に変えて(もちろん曲調を壊さぬ範囲で)演奏することにより、“歌”にも集中できてトータルでははるかに良い…ということだ。ひとつ開眼できたような気がする。このほかにも、たくさんの良いアドバイスをいただいたけれど…それは企業秘密ってことで。にひっ。



昨日の記事内容があまりに漠然とし過ぎていたので、今日は違った切り口でその続編。これは以前にも書いたことであるが、“人間”って文字が“人の間”と書くように、人は社会を築きそのソサエティのなかで生きている。だから大勢の人と関わるのは必然で、周囲の人々からプラスのエネルギーをもらって成長し、そして前進していく。ときとして意に反し負のエネルギーを受けることもあり、それで落ち込んだりグチったりすることもあるが、これも考え方次第。たとえ負のエネルギーをいただいても、よ〜く考えてみればその人から受けるプラスエネルギーのほうがずっと大きいことが多い。“負”の部分だけに着目するのは間違いだし、そもそもそれを“負”と考えるのは自身の問題。仏教の“因果応報”じゃないけれど、その根源はえてして自身にあったりする。なにか話が暗い方向へ進んじゃったけれど、要は、言いたいことは、人との関わりは、そのほぼ100%が自分にとって有益だってっていうこと。そう思うと人と接するのがとても楽しくなるし、自身もハッピーになれる。だって、人間てそれぞれにみんな優れた能力を持っていて、それを互いに享受できるんだから…。これほど素晴らしいことってないとマジ思う。ははは。なにか哲学っぽい話になっちゃったな、今日は。
若い頃、必要があってロボット技術の講習を受け認定証をいただいた。プログラミングしてあげるだけで精確に仕事をしてくれるロボットって、確かに素晴らしい。人には絶対できない作業を効率よく短時間で成し遂げてくれる。しかし、それは仕事のほんのごく一部。大半の仕事、とくにクリエイティブな仕事はやはり人間の力。だから良い仕事ができるか否かは、すべてその人間のスキル次第。アタマ数ではない。三人寄れば文殊の知恵…というのはウソで、バカが三人いても、やはりバカはバカ。優秀な者が集まってこその話である。でね。その優秀な者とそうでない者の差って、人間の能力としては10:9、いやもっと近くて100:99くらいのものかもしれないが、このわずかな違いが、じつはすっごく大きいのだ。なにゆえ唐突にこんなことを…と言うと、じつは昨日、とあるソロギタリストが来社して、たくさんのことをご教授いただき、そんなことをふと思った次第。半歩先を行く者は1km先を行くに等しく、半歩劣る者は1km劣るに等しい。う〜〜〜ん、今日は疲れているかな。話が支離滅裂だ。あ、今日もか。