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カテゴリー「政治経済社会」の記事一覧
- 2025.07.15 [PR]
- 2013.06.21 過剰な男女平等はバカげてる
- 2013.06.20 忘れちゃならないこともある
- 2013.06.17 プラス以上にマイナスが
- 2013.06.15 論調ってこわい
- 2013.06.14 語るは自由だけれど
- 2013.06.11 大看板は、もういらない
- 2013.06.09 ウラがあるのか、ないのか
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「男らしい」「女らしい」は、それぞれ男性・女性に対する褒め言葉である。だが「雄々しい」は褒め言葉であるのに対し、「女々しい」は蔑む言葉。これまで普通に使われてきた障害者に表す言葉がみんな、人権上問題があるとして禁止されたけれど、これと同じように性にかかわる言葉もいずれ変わる運命かも。男女同権や男女共同参画、男女雇用機会均等法など、女性と男性を同等に扱うことが望ましいとされる今日。「雌雄を決する」「女の腐った奴」とか…そんな言葉は言語道断ってね。外国のとある玩具メーカーが、男の子にオモチャの銃を女の子に人形を持たせたポスターを作ったら、男女差別だと抗議を受け、女の子にオモチャの銃を男の子に人形を持たせたポスターに作り替えたそうな。これはこれでまたどうかと思うけど、世界では過剰な男女平等化が進んでいることは確かなようだ。日本語から「性」を使った慣用句が一掃される…そんなバカなことがあるわけない、と、いまは思っているけど、案外現実になるかもしれないと私は危惧する。身障者に対する言葉もそうだけど、大切なのは言葉そのものじゃなくて使う者の気持ちだと思うんだけどな、私は。
スウェーデンの男性電車運転士、スカートを履く
スウェーデンの男性電車運転士、スカートを履く
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人間ってのは、イヤな思い出は消し去る能力を持っているのだという。もしその能力がなく、悲しみや怒りをいつまでも持ち続けていると、精神が異常をきたして死に至るという。泣くという行為には、精神状態を早く安定化させる効果があるのだとか。だが、事によっては忘れ去ってはならないこともあるのではないだろうか。たとえば福島第一原発事故。今日あらたに地下水から、国の基準の8倍の1リットルあたり50万ベクレルのトリチウムと、30倍の1リットルあたり1000ベクレルのストロンチウムが検出されたらしいが、ほとんどのメディアはこれをスルー。もしこれが福島第一原発事故前であれば、すべてのメディアが特番を組むほどの深刻なニュースであるにもかかわらず。もはや放射能汚染の問題は、悲しいな、国民の関心事ではなくなってしまったかのようである。かたや原子力規制委員会は今日、原発再稼働への第一歩となる原発の新しい規制基準を正式決定した。原子力ムラとともに歩む自民党政権だから、これもやむを得ぬことなのかもしれないが、事故後かつて多くの国民が求めた原発ゼロの声はいったいどこへ消えてしまったのか。先に述べたように忘却も確かに大切ではあるが、やはり忘れてはならないことだってあるはず。“No more Fukushima”を100%実現できる手段は、脱原発しかない。日本は唯一の被爆国であり、数少ない原発事故の体験国。私たち日本人こそが脱核のオピニオンとなるべきと私は思うのだが…。
福島第一原発の地下水から高濃度ストロンチウム検出
新規制基準を決定 電力各社、再稼働申請へ
福島第一原発の地下水から高濃度ストロンチウム検出
新規制基準を決定 電力各社、再稼働申請へ
投票締切の10分後には当確が発表されるという異例の早さで、今回の静岡県知事選は現職が再選を決めた。有力な対抗馬がいなかったので、当然の結果というか、やむを得ぬ結果というか…。唯一対抗馬と呼べそうな自民系無所属の候補者も、先般ブログにも書いた、あたかも迷惑電話に等しい一軒に4回も電話をかける電話作戦や、某宗教系団体の支援が裏目に出たのではないかと思う。今回の県知事選でも、その組織に属する知人から、彼らがF活動と呼ぶ投票の依頼を受けたが、「あ、その団体がバックにいるのか」ということを再認識して、私のように逆に投票を避ける者も少なからずいるのではないかと思う。もちろん選挙運動ってのはある程度必要だし、それ自体はけっして悪いことではない。だが、むやみやたらな運動は逆効果。もっと相手をちゃんと分析し緻密な戦略を立てなければ、せっかくの活動もマイナスに働く…あらためてそう思った今回の県知事選であった。
哲学や法学を学んだ者なら誰もが知っている2つの真理、“sein(ザイン)”と“sölen(ゾレン)”。わかりやすく言うと“不変の真理”「〜である」と“可変の真理”「〜であるべき」ってことだけど、これについて最近思うんだよね。論調ってこわい…って。前者のseinは、時代を超えて万国共通。だが後者のsölenは、国が違えば、そして時代が違えばホントさまざま。まずは国。たとえばトルコ。政府と反政府勢力が対立して大騒ぎになっているけれど、宗教的な思想もからんでどっちが正しいとも言えないし、どっちも正しいとも言える。どちら側の人にとっても、自らが主張する意見こそが正義なのだ。これと似ているのが、尖閣諸島や竹島の領土問題(公式には“領土問題は存在しない”ということになっているので、領土問題って言っちゃいけないのかも)。これも日本、中国、韓国それぞれに主張が異なるが、それぞれが自分の主張が正義と信じる背景には自国内の教育や論調によるところが大。だからまったく噛み合ない。だが、希望がまったくないわけではない。それはsölenの真理は時代とともに変わり得る…からだ。たとえばタバコ。私は愛煙家だから余計にそう感じるのかもしれないが、最近の“愛煙家叩き”はかなり辛辣。あたかも極悪人であるかのような、かなり強烈な意見のカキコが目立つ。私が言いたいのは、その内容のことではない。時代による変化である。かつて昔、喫煙者が50%を超えていた時代には禁煙・嫌煙なんて意見はほとんどなく、当然のものとして容認され、むしろ麻薬の抑制に繋がるとして推奨さえされていた。ところが時代が変わり、喫煙者が減り嫌煙権を主張する者が増えると、今度は一転。タバコは悪行と評価が変わった。要は、人は自分と同じ意見を持つ者が増えれば増えるほど「これこそが正義」と、より強く思うようになる…ということだ。正義ってのは常に不変ってわけではなく、世の論調によってコロコロ変わる。極論を言えば、たとえば「戦争すべき。反戦を唱える者は非国民」なんていう論調が世の大勢を占めれば、それが正義となる…ということだ。結論が最後になっちゃったけど、私が言いたいことは、つまりこういうこと。「自分が正しい」と信じていることも、一歩引いて相手の立場になって見てみると、意外な解決策がみつかるかも…って。でしょ。
復興庁の参事官のtwitterでの暴言がおおきなニュースになっている。でも、どうなんだろう。確かに語っている内容はグチが多く、公職にある者の発言としてはふさわしくないかもしれないが、SNSってもともとそういう性質のもの。公式の場で述べたわけでもなく、表現の自由の内の類いのものだと私は思う。ただ問題なのは、こういう意識の者を官僚として採用している組織そのもの。彼のようにSNSでグチらないまでも、同じような“やる気のなさ”で仕事にあたっている者も多いのではないか…と勘ぐらずにはいられない。そして、もうひとつ気になることは、こういう事案に対して匿名やハンドルネームでかなり辛辣な意見を書き込む者が多いこと。もちろん意見を述べることはおおいに結構だが、意見するのであればぜひ堂々と実名で願いたい。語るのは自由。だが、匿名とかハンドルネームとか、そういう見えない壁に守られて語るのは…ちょいと卑怯な行為ではなかろうか。
復興庁水野参事官のツイッター暴言問題について考える
復興庁水野参事官のツイッター暴言問題について考える
安倍首相はアベノミクスの第3弾として「10年後に所得150万円増を実現」の大看板を掲げたけれど、ここに至る工程や具体案はナシ。これって、途中で放り出してしまった第1次安倍内閣のときと同じじゃん。前回も立派なスローガンをたくさん掲げたのみで、その具体策も何もないままに辞任してしまった。政治のこと、とくに経済のことは素人の私にはよくわからないけれど、「10年後」なんて先のことを言われてもどうもピンと来ない。そもそも10年後に安倍晋太郎氏のご子息がまだ首相を務めているとも思えないし。もし、この「大看板」を実現できなかったとしても、誰もその責任を取る者はいないのでは。だから私は言いたい。「10年後に所得150万円増」ではなく「1年後に所得15万円増」に訂正していただきたい…と。そのほうが、ずっと夢が持てるし期待感もある。ほら、東進ハイスクールの林氏も言ってるでしょ。「いつやるか?」「今でしょ!」…って。
10年後に所得150万円増 乏しい新味
10年後に所得150万円増 乏しい新味
我が静岡県は現在、県知事選のまっただ中。選挙期間中なのでどの候補者かは明記できないけれど、とある自民系候補者の選挙事務所から頻繁に電話がかかってきて、とても迷惑である。「こちら県知事選○○候補の選挙事務所ですが、野中さんのお宅ですか?」と間違い電話。「いえ、違います」って答えたら、その直後に再び同じ事務所から「野中さんのお宅ですか?」って。だから“違う”って言ってるのに。そして、その半日後にまたまた「野中さんのお宅ですか?」…。ふざけているのか、イタズラなのか、意地悪なのか。次は翌日。同じ事務所から電話が再度かかってきて、今度は相手が誰なのか確認もせずにいきなり「県知事選○○候補の選挙事務所ですが、ご支援をよろしくお願いします」ってさ。要は相手が誰であれ構わない…っていう姿勢そのものが失礼であろう。もちろん選挙の電話作戦が違法ではないことは知っているけれど、間違い電話も含めて4回も掛けてきて…これじゃまるっきし逆効果。もし仮に私がその候補の支持者だとしてもイヤになってしまう。ということは、これは、もしかしたら対立候補の事務所が、敵方の事務所に成り済まして行なっている新手の電話作戦かも。いずれにしても営業電話と同様、選挙の電話作戦は迷惑な行為。電話一本で投票行動が変わるほど私たち有権者は愚かではないし、いっそ禁止してしまっても良いのではないか…と私は思うのだが。
選挙ナビ-電話作戦について
選挙ナビ-電話作戦について