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熱中症にはご注意を
部屋の中にいても熱中症になってしまいそうな昨日、今日。そういや昔は熱中症なんてものは誰も知らず、ずいぶん危険な思いをしたものだなぁ…と、いまさらながらに思う。たとえば部活では「練習中に水分を取ると疲れが出る」という理由で水を飲むことは禁止されていたし、それでもし具合が悪くなれば「根性が足りない」と教官や先輩から厳しいシゴキを受けたものである。私が経験した、いま思えば明らかに熱中症と思われる事例はふたつ。まず最初は高専時代。その頃の私の“足”は、家庭教師とパチンコ店の店員とゴルフ場のキャディのバイトで買った中古のYAMAHA HS-1。空冷2サイクル2気筒の90ccバイク。90ccでツインエンジンなんて、この兄弟車のHS-90を除いて後にも先にも、おそらく他にないのではなかろうか。まだ若く走り屋だった私は、友人の4サイクル単気筒のHONDA SL90とよく走り比べをしたが、立ち上がりの加速はHS-1が圧倒的に上。街乗りにはまさに最高のバイクであった。余談が長くなってしまったが、ある暑い日に、このHS-1が途中でエンコしてしまい学生寮まで押して歩くことに。どのくらい歩いた頃か、突然目に映る景色がすべて黄色に変わり、意識が遠のきそのままバイクとともに倒れ込んでしまった。炎天下の中で。あいにく場所は農道で、人通りはほとんどない。再び意識を取り戻したのは、すっかり日が西に傾いてもうじき夕闇が訪れようとしている頃だった。おそらく気温が下がったことで、体調が回復したのであろう。見るものすべてが真っ黄色の世界を、私はそのとき初めて体験した。次は15年ほど前。PTAの奉仕活動で古新聞回収をしていたとき。私はトラックの荷台に乗り、集められた古新聞を受け取って載せる作業をしていたのだが、途中でだんだんクラクラし始めた。もうじきすべて積み終える頃には半ば意識もうろう。もし熱中症というもの知っていれば、そこで作業をやめて誰かに事情を告げて休憩したのであろうが、当時はそんな知識もなく「なんて私は体力がないんだ」「根性であとひとふんばり」と最後まで。そして、ようやく作業が終わった頃にはすでにフラフラ。言葉を発する元気さえなく、トラックから降りて一目散に木陰へ行って横たわった。どれくらい横になっていたのか、気がついたときにはトラックも一緒に作業をしていたPTAの方々の姿もすでになくなっていた。その後、水道へ行き水をガブ飲み。いま思えばこれも軽度の熱中症だったのだろうが、そんな予備知識はなくとも、涼しい木陰で休んだり、水を飲んだり…と、人は自然に自衛の手段を取るものだな、あらてめて思う。ただし、これも程度問題。若かった昔と違い、回復力だっていまではきっと劣っているに違いない。無理をせず、マメな水分補給に心がけなくっちゃね。しかし、ホント暑いなぁ。マジ暑い。いったいどうなっているんだ、今年の梅雨は。
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