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米国は17日に迎撃ミサイルBlock1Bの、22日に大陸間弾道 ミサイル(ICBM)ミニットマン3の発射実験を行なった。ミサイルと言えば、北朝鮮のミサイル発射予告に日本をはじめとする関連諸国が戦々恐々としたのも、記憶の新しいところ。では、なにゆえ世論は北朝鮮のミサイルには否定的なのに、米国のミサイルには肯定的なのか。もちろんその使用意図や国家体制の違いによるところはじゅうじゅう理解できるが、大量破壊・大量殺人兵器であることに違いはない。核もまたしかり。持つところはそのままに、持たざるところには持たせない。いまや当然のごとく語られる非核三原則だけど、冷静に考えれば、まったくもって妙な理屈。核もミサイルも大砲も鉄砲も、み〜んな大切な人の命や財産を奪う悪魔の道具。そんなの理想論でしかないことはわかっているけれど、世界中の兵器という兵器すべてがなくなればいいのに。
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TPP、原発、基地など数多くの思惑が党本部と地方ではまったく異なる、参院選に向けての自民党の公約。我々国民が期待する行財政改革や議員定数是正問題には、いっさい触れず。座長である政調会長が、政治よりも厚化粧に関心が高そうなあのオバさんだから実力的にしゃーないけど、これで大丈夫かと自民党員ではない私でさえも不安を覚える。やはり公約は重要だ。ところで選挙と言えば、いま一部のヲタクの方々の間で盛り上がっているのがAKB総選挙。どうやらすでに開票が始まっているらしいのだが、最終結果はなんと6月8日とか。いったいどんだけ開票作業に時間を要すんだ。まさか人員不足でプロデューサーの秋元氏ひとりだけで開票しているわけでもあるまいに。そもそも総選挙って言うわりには候補者の顔も名前もわからなければ、肝心な公約も争点も私たちにはさっぱりわからない。私が知るわずかなAKB情報は、大島って子が前回「1位になったら坊主になる」って宣言して見事1位になったにもかかわらず、そののち深夜合コンがスクープされて、この公約がウヤムヤになってしまったことと、その大島って子が、今回の選挙では「1位になったらヌードになる」って公約していることくらい。「1位になったらヌードになる」って、お前はイタリアのチチョリーナか?!ってツッコミを入れたくなるけど、ま、選挙であるからには公約があって当然。でも残念なのは、ヌードを見たいと思っている人なんておそらく世の中にあまりいないだろうし、少なくとも私はまったく興味がない。そういう安直な公約よりも、たとえば徹底的に歌を練習してクチパクでなくても歌える真のエンターテイナーなる…とか、みんなが期待する高いレベルでの目標を掲げてほしいもの。でなきゃ、いつまでたってもK-POPアイドルたちを抜けない。せっかく選挙をするのだから、これを意義あるものにしなくっちゃね。…と、ちょいとへそ曲がりなオジさんは思う次第である。
大島優子「選挙公約」は「全裸」だけじゃなかった!
大島優子「選挙公約」は「全裸」だけじゃなかった!
とある調査によると「ギターを持った青年はモテる」そうな。まぁ確かに言われてみれば、私が学生時代にバンドを始めたのも「女子高生にモテたい」っていう不純な動機。僭越ながら、みんながみんなそうとは思わないけれど、私と同じような方も少なからずいたのでは…と拝察する。実際、ときはフォークソングブームの絶頂期。コンサート会場はいつも女子高生で満席だった。で、肝心のモテたかどうか…という重要ポイントであるが、確かにモテた。マスクも良く、歌もギターも上手い奴は。だが、そのどれにも当てはまらぬ、つまり私のような者たちはさっぱりダメ。世の中そんなにあまくはない。とどのつまりは、やっぱり実力。ギターを持ってモテるのは、ほんのひとにぎりのエキスパートと小林旭ぐらい。「ギターを持った青年はモテる」なんてのは妄想と言ってよかろう。残念ながら。
実験!ギターをかついでいると女子受けはアップするのか?
実験!ギターをかついでいると女子受けはアップするのか?
昨日初めて西尾楽器さんを訪れたら、おおお、な、なんと、ピックギターが店頭に。しかもマーチン。オールドギターでめっちゃ渋い。すかさず価格を見ると、・・・・。案の定、チョー高嶺の花。でも、現物を目の当たりにすると、やっぱりわくわくドキドキ。まるで、TVでしか見たことのないようなキレイなおネエちゃんが、すぐ傍にいるかのよう。ピックギターに対する憧れはますます強くなった。ところで、この“ピックギター”っていう呼び名はよくよく調べてみると、“クラシックギター”や“フォークギター”と同じ和製英語で、外国ではアーチトップギターと呼ばれているらしい。では、なにゆえ“ピックギター”と言われるようになったか…というと、これまた諸説ありハッキリしない。「ジャズマンがフラットピックを使って弾くから」という説や「指でつま弾いて(ピッキングで)弾くから」という説が有力だが、ピッキング奏法が大好きな私としては後者であると信じたい。どなたか、本当のところをご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えて。漫才の春日三球・照代さんじゃないけれど「考えると夜も眠れなくなっちゃうんですよ」。
アコースティックギターには大きくわけてふたつのタイプがあるのをご存知だろうか。ひとつは、日本では一般にフォークギターと呼ばれる、誰にも馴染みのあるフラットトップの中央にサウンドホールが空けられたもの。そしてもうひとつは、ヴァイオリンと同じようにf型の穴がふたつ空けられたもの。後者はトップ板が膨らんだ構造をしているのでアーチトップと呼ばれることもある。前者は音量が豊かなのに対し、後者は優しく柔らかな音なのが特徴。で、この後者のfホールのギターを俗にピックギターと呼ぶのだが、これを詳しく調べようとネットで検索してみると、検索エンジンが勝手にピックとギターのふたつの単語に置き換えちゃってくれるので、肝心の“ピックギター”に行き当たる前に“ピック”や“ギターピック”の項目ばかりがズラズラと。ありゃま。ちなみにこのピックギターはその生い立ちからジャズやブルースで使われることが多く、その後、他の楽器に負けない音量を稼ぐためにエレキ化が進み、生音よりもハウリング防止重視でボディは薄くなった。もはやこれはピックギターじゃなくて、エレアコもしくはエレキギター。そんなわけで、生音重視の純粋なフルアコのピックギターはいまでは数少なくなったが、たとえば国産の有名どころではチャキギター。K.YairiならP-2やP-3などがそれ。でね。なにゆえ唐突にピックギターのことを話題に取り上げたかと言うと、いまだかつて生で聴いたことがないこのピックギターの音を聴いていたい、弾いてみたい…という衝動にかられたから。「あ、ならば手元に寝ているピックギターがあるから1本あげるよ」なあんて奇特な方が…いるわけないよな、当然ながら。ははは。
チャキのホームページ
K.ヤイリのホームページ
チャキのホームページ
K.ヤイリのホームページ
しばらくネット将棋にハマっていたが、ついつい夢中になり過ぎてしまうので、ちょいと自制。対戦はしないで、仕事をしながら横のパソコンで他人同士の対戦をウォッチングすることに。そうしたら、同じ“将棋”でもおおきく分けてふたつのタイプがあることに気づいた。ひとつは、将棋道場や学生将棋などで定跡から学んだ本格派タイプ。彼らは時間設定をしないか、もしくは時間設定があったとしても、そこそこの長考はできる程度で対戦している。そしてもうひとつは、持ち時間が10分以下の超早指し。彼らは、よくある職場の昼休み将棋タイプ。前者は一手一手をとても大切にし、常に最善手を模索し続けて勝利を狙うのに対し、後者は勘とひらめきが頼り。この勘とひらめきを養うために、高専の囲碁将棋部時代に早指し将棋をやったことがあるけれど、私はあまり得意ではなく、将棋の志向としても本筋と違うような気がして好きではない。で、そんな早指し将棋を好んでされている方々の対戦を見ていると、“純粋に将棋に勤しむ”というより“将棋というゲームで遊んでいる”という感じ。もちろん“将棋はこうでなければならない”なんて規範はないから、それはそれでいっこうにかまわないのだが、ただ、マナーの悪い方はこちらの早指し将棋の方々のほうがやや多いようだ。このマナーの欠如はネットゆえの宿命かもしれないが、たとえ相手の顔が見えないにしろ、対戦相手があってこその将棋。礼節だけはちゃんとわきまえていて欲しいものと思う。なんたって、みんな将棋を愛する気持ちは同じ仲間なんだからさ。
最近どうも私の悪いクセが出始めた。卓球を始めれば卓球ばっかり。写真をを始めれば写真ばっかり。草野球を始めれば野球ばっかり。ラジコンを始めればラジコンばっかり。ギターを始めればギターばっかり。そして再び将棋を始めれば、今度は将棋ばっかり。どれひとつ満足に成就しないままに次から次へと興味の対象が移ってしまう。そんなことを繰り返して50余年。つくずく自分でも嫌気がさす。が、これも性分か。で、最近ハマってしまったネット将棋であるが、何局か対戦してみて自分の傾向がわかった。ひとつめは、序盤からリードしてそのまま押し切る。ふたつめは、序盤でミスして劣勢に立たされるが中終盤で逆転して勝つ。三つめは、序盤から劣勢に追い込まれ、まったく良いところなくそのまま負ける。相手の棋力にもよるが、ほとんどがこのパターン。逆転で負けることはまずない。昔、学生時代、囲碁将棋部に在籍していた頃は研究に余念がなかったので序盤は強く中終盤で逆転されることが多かったのに、いまではまったくその逆。長年のブランクで、どうやら序盤の定跡や手筋をすっかり忘れてしまったようだ。にもかかわらず、定跡にとらわれない中終盤の戦い方だけはなんとなく覚えているから不思議だ。人間の脳って、いったいどうなっているんだろう。ネット将棋に興じながら、ふとそんなことを思う今日この頃である。