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なにやらELTならぬLETがどーのとか。どんどん進化し続ける携帯端末と通信環境に、おやじ世代は(もしかしたら私だけかもしれないが)ついていくのが大変だ。機能やサービスの違いを説明されてもよーわからん。ただ、はっきりとわかるのはTV-CMのイメージだけ。で、私なりに順位づけすると(1)剛力彩芽さん、(2)上戸彩さん、(3)佐々木希さん、(4)AKB。つまり(1)au、(2)softbank、(3)willcom、(4)docomoの順。ちなみに上戸彩をスマップに置き換えた場合は、(1)au、(2)willcom、(3)docomo、(4)softbank。これは単純に私個人のタレント好感度の順位に過ぎないんだけどね。それはそうとCMの内容で言うと、いまイチバンおもしろいのは、この携帯電話の業界のCMかもしれないと思う。どこもアイデアに富んでいてなかなかおもしろい。しかし、なかでもちょっとイマイチ感が否めないのがdocomoだろうか。あきらかにsoftbankの白戸家を意識したファミリー構成で、しかもたいした意味もなく人気絶頂のAKB人気にあやかろうとしていて残念。市場で劣勢にある状況が、CMにおいても現れてしまっている。そう言えばかつて、docomoのCMに出ていた織田裕二氏が契約が切れたと同時にIDOのCMに出て世間を驚かせたことがあったが、いっそこの逆手をとって、docomoは上戸彩さんや剛力彩芽さんに狙いを定めて契約切れとともにCMに採用するってのはどうだろうか。ちなみに、この一件で織田裕二氏は「節操がない」という負のレッテルを貼られてしまったから、上戸彩さんや剛力彩芽さんには相応の報酬を支払わなければならいだろうけど。話が飛躍してしまったついでに、もうひとつ。雑誌「美人百花」の読者アンケート「ショートヘアが似合う女性芸能人」でNo.1の票を獲得したのは前述の剛力彩芽さん。以下(2)堀北真希さん、(3)吉瀬美智子さん、(4)篠田麻里子さん、(5)田中美保さんで、先般、男性宅へのお泊まりが発覚してベリーショートにイメチェンしたAKBのメンバーの方は選外だった。残念。もし私が「美人百花」の読者なら同情票で1票入れてあげたのに…。

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ゆんべ。そう、この地方では“夕べ”のことを方言で“ゆんべ”って言うんだけど、ゆんべ事務所の姐御が帰宅するときに「ラップを買い忘れた」と言うので、事務所の使いかけのサランラップをあげた。さすがに午前0時を回った深夜に開いているスーパーは田舎にはないからね。そうしたら、ジャジャーン!そのラップの一部分が今日、返ってきたのである。なんとサンドイッチの包装材として。そして、ラップはゴミ箱へ、サンドイッチは私の腹へ。でね、このサンドイッチ。ちょいとひと工夫されていて、パンがトーストしてあるのだ。食べてみたら、これがグー。香ばしくってじつに旨い。私にとって新しい発見だった。感心、感心。料理に限らず、こういう創意工夫がクリエイターには大切だよね。おっと、また話が脱線してしまった。とにもかくにも、思いがけずラップがサンドイッチに化けたことが、とかく沈みがちだった最近の私の気持ちを明るくしてくれたことは間違いない。さあて明日は我が市とその関連団体の指名願いの書類提出締切日。通常業務に追われて切羽詰まっちゃったけど、がんばって書類を仕上げねば。夜明けは近い。がんばろっ。

かつて昔、子どもの大好きなものの象徴として「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉があった。これを現代に置き換えると「AKB、ジャニーズ、AKB」といったところだろうか。この2グループの勢いはすさまじく、TVに登場しない日はないほど。とくにきわだって歌が上手いわけでもなく、かと言って芸に秀でているわけでもない彼ら彼女らがブレイクし続ける理由が私にはわからないが、とにもかくにもこれが現実。ただひとつ懸念されるのは、TV業界やマスコミが彼ら彼女らだけを極度にクローズアップすることによって、本来ならばもっと表舞台に出ても良いような実力のあるミュージシャンたちが埋もれてしまうこと。人気の高さとTVの露出の多さは微妙な相関関係にあって、TVやマスコミが取り上げることによって人気が出たり維持したり…ってのは必然のこと。前述の「巨人、大鵬、卵焼き」だって同様の道理で成り立ってきた。私に言わせれば、人気の高さ→露出の多さ→人気の維持→露出…は一種の悪循環。これは、新しいもの、良いものの発掘のためには弊害である。世の中にはきっと、もっともっとたくさんの人気スター、売れっ子ミュージシャンの予備軍がいるハズなのに。ほんと残念でならない。
AKB、CDバカ売れの陰で
AKB、CDバカ売れの陰で
しばらく前のブログに「ソロギターやリードギターではない人がカッタウェイのギターを使うことに違和感を感じる」なんて主旨の記事を書いたけど、それはまったくの私の偏見であり、誤った考えであった。訂正したい。私たちが若かった頃はカッタウェイのギターを使う人はきわめて稀で、あえてカッタウェイを使う人はテクニシャンという…そういうイメージがあった。だけど最近は奏法がどうのというより、むしろデザインとしてカッタウェイを選ばれる方も多く、カッタウェイのアコギはかなりポピュラーであるらしい。言い換えると、つまり、私たちが若かった頃IVYルックで身を包んでいたのと同じで、たんなる流行りみたいなもの。私の意見は、それを「IVYリーガーでもないのにIVYファッションはおかしい」と言って批判しているのと同じなのだ。…ということに気づいたら、とても気恥ずかしくなった。これもいわゆるジェネレーションギャップのひとつ。年寄りが自分の考えを正当化して押しつけちゃいけないね、やっぱり。おおいに反省…。
昨日はお茶の普及のことについて書いたが、あたかも「お茶を急須で入れる→日本の伝統文化→正しいこと」のような論法で、まったく消費者側の視点に立っていないことに後で気づいた。実際、消費者にしてみれば、湯を沸かす、急須に茶葉を入れて湯を注ぎ待つ、急須に残った茶殻を捨て茶器を洗う…といった作業は面倒きわまりない。かく言う私は静岡県人でありながらお茶ではなくコーヒー党であるが、時間にゆとりのあった学生時代は、豆を手廻しのミルで挽き、アルコールランプを灯してサイフォンで落とす…なんていう手間のかかる作業をしてコーヒーを楽しんだものだが、社会人になってからは、豆はあらかじめ挽かれたものを購入しサイフォンを止めてドリップに。さらに近年はドリップを手で落とすことすら止めてコーヒーメーカーを使っている。もし缶やペットボトルあるいはインスタントで、入れたてコーヒーに匹敵するほど美味しいコーヒーがあれば、私だってわざわざコーヒーを落とすなんてことはしないかもしれない。現代人がお茶を入れない理由は、そんな手間ひまをかける時間を持ち合わせていないということに尽きるだろう。ということで、私なりに茶市場回復の策をいろいろ練ってみたが、出てくるのは、列挙するのも恥ずかしい、ひとりよがりな案ばかり。そんなことはとっくに考えているよ…と、プロの茶業界の方々に怒られそう。やっぱり「お茶はペットボトルがあたりまえ」の時代が来るのは避けられないのだろうか。そして半世紀後、人々はこう言っているんだろう…「昔の人は、お茶を急須っていう道具を使って入れてたらしいよ」って。
私は以前ある会議の席上で、ある委員が「PR力で掛川茶に負けている。もっと菊川茶のPRを!」てな内容の意見を発せられたのを受けて、「そんな個々の地域ブランドPRは全国シェアからすればほとんど意味がない。それよりももっと重要なのは、PETボトルのお茶に押されて生葉の需要が落ち込んでいること。若い人たちのなかにはお茶の入れ方すら知らない者も数多い。その根源は、男女雇用機会均等法やセクハラの誤った解釈で、こういった会議の席ですら入れたお茶を出さずPETボトルのお茶を出していることにある。お茶は日本の文化なのだ。せめてお茶を基幹産業とする静岡県ぐらいは、県が一丸となって、職場では職員が当番制でお茶を入れる、会議の席のお茶は急須で出す…などの努力をしていかねば。全国への発信は、まずそうした足固め、土壌固めをしてから。静岡県へ訪れた人でさえ、まともなお茶に出会えないなんてありえない。対掛川茶、対川根茶なんてのは二の次。まずは他の産地と連携して、みんなでお茶の文化の普及に努めることこそ最優先に考えねば」といった発言をした。私は直接茶業に関わる者ではないが、基幹産業であるお茶が地域経済に与える影響の大きさはわかる。20年前はとても羽振りの良かった茶業の方々が、いまでは私たち貧乏人とさして変わりないほどになった。なぜ唐突にこの会議のことを思い出したかと言うと、それは、日教組の集会で報告された「高校生の8割がお茶を入れられない」というニュースを見たから。えっ?!と驚く数字であるが、まんざら間違っていない気もする。彼らが大人になったとき、その子どもたちは、さらに多くがお茶を入れられなくなっていることは必然。早く手を打たねば、将来、静岡県の茶業はPETボトル用の下級茶葉だけを作ることになりかねない。静岡県の茶業は業界独自の複雑な流通を作ることによって大手商社の参入を防ぎ、潤沢な利益を得ることに成功したが、それはもはや過去の話。時代は大きく変わっているのだ。そんな過去の遺物にいつまでもアグラをかいていると、本当に首をくくるはめになってしまう。まずは手始めに、せめてお役所や、それに準ずる組織では昔ながらの急須で入れたおいしいお茶を入れるよう改革してほしいものと思うが。はて…私の考えは、間違っているだろうか。
最近の高校生、急須使えず?

最近の高校生、急須使えず?
私はいまではもはや少数派のガラケーユーザー。そう、ガラパゴス携帯と呼ばれている、いわゆる日本独自形式の旧式携帯電話。その携帯電話だが、最近バッテリーの“持ち”が急激に悪くなって、ほとんど使わなかった日でも丸いち日。頻繁に使用したときは、わずか数時間でレッドゾーン。で、バッテリーを新調するか、この際スマホに変えるかもっか思案中。もしバッテリーを替えるとなると、現携帯電話においては2度目。仕事の都合でときおり必要とされるネットの確認ができないことを除けば、ガラケーでもなんら問題はないし、むしろ使い慣れている分だけ、このまま使い続けたい気持ちもある。しかーし、しかーし。仕事柄、時代から大きく遅れをとるのも考えもの。個人的に必要か否かは別として、スマホに関する知識もある程度はつけておかねば。バッテリーの寿命から考えても、結論をそうそう先延ばしもできない。なかにはガラケーとスマホの両方を持っている方もおられるようだが、そんな経済的余裕があるわけじゃなし…。さぁ困った。どうしよう。