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孫たちも、いよいよギターに関心を持ち始める年頃になった。私がギターを弾けばジッと聞き入り、弾き終わると弦を弾いて遊ぶ。そろそろ子供用のギターを買い与えてみても良いかと思い、ネットで調べてみるが、なかなか適当な物がない。3,000円以下の物は形がギターギターだけの形をしたまったくのオモチャ。10,000円弱でいちおう楽器と呼べそうなミニギターもあるが、レビューを読むとやはり「それなり」らしい。音質までは求めないが、チューニングなど楽器としての基本性能だけはちゃんとした物でなければ。と言うか、むしろ10,000円も出せば本格的なドレッドノートタイプの入門ギターが買える。でも、これじゃ子供にはサイズが大き過ぎだし…。ならばいっそ私のセカンドギターも兼ねてトラベルギターでも…とネットで探すが、やはりどれも高い。とどのつまり、金さえあれば…という話なんだけど。
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私は政治家でも学者でもないので、原子力ムラと政治家のウラの繋がりはよくわからない。だが、いまだ15万人もの方々が避難生活を余儀なくされ、放射能汚染は拡散する一方で、いっこうに収束のメドさえ立たない原発事故の恐さは福島県民ならずとも理解できる。確かに私たち現代人は数多くの文明の恩恵をこうむって生活している。文明がもたらしてくれる利便性には感謝しているし、またそこにリスクが伴うことも理解はできる。ネットが進化すれば、より多くの方々との情報交換が容易に得られるが、逆に昔ながらの小さなコミュニティの価値は薄れていく。クルマ社会の発達により物流や遠方への移動が便利になったが、交通事故による死者や怪我人もけっして少なくはない。要は、その利便性とリスクを天秤にかけたとき、どちらが大きいかが重要である。さて、本題の原発だけれど、これは明らかに後者。あまりにリスクがでか過ぎである。先般のブログにも書いたけれど、そもそも核ゴミの処理方法も決まっていないのに、行き場のない核ゴミをこれ以上増やしてどうするつもりなのか。肝心の原子力規制委員会だって原子力安全委員会の看板の掛け替えみたいなもので、結局は原発再稼働を前提にした御用組織。原発からちょうど10km地点に住む私たちの万一の避難場所も決まっていないし、これはおそらくどこの原発立地県でも同じ状況であろう。原発に関しては、その核ゴミも含めて、やはり100%の安全が保証できない限り認めることができない…というのが、偽らざる心境。原子力ムラの方々の利権のために犠牲になるなんて、まっぴらご免こうむりたい。ただそれだけである。
原発ビジネスは儲かる。命より金という人たちがいる(上)
原発ビジネスは儲かる。命より金という人たちがいる(下)
原発ビジネスは儲かる。命より金という人たちがいる(上)
原発ビジネスは儲かる。命より金という人たちがいる(下)
7月6日(土)。椿の「フォークな夜」に参加してきた。でね。今回はいつものアングラ系の曲以外に「ふつうのフォーク」を1曲ご披露。「ふつうのフォーク」ってのも妙な表現だけど、「フォークソング」と言って多くの方が思い浮かべる、かぐや姫や吉田拓郎、井上陽水…などなど、いわゆるメジャーヒットした曲。で、そんな中から私が選んだ曲は、学生バンドをやっていた当時の懐かしい曲、NSPの「さようなら」。学校は違えど同じ高専の2級先輩である一関高専の学生バンドがPOP-CONでみごと優勝を果たし、私たちのバンドでも頻繁に演奏した思い出深い曲である。でもね。バンドと弾き語りではずいぶん勝手が違うし、これが意外と難しい。演奏しているときはさほど思わなかったけれど、椿のマスターがアップしてくれたYoutubeをあらためて拝聴してみると全然ダメ。やっぱり弾き語りには向いていないし、私のキャラにも合っていないし。いわゆる「ふつうのフォーク」は歌唱力も必要で、ヴォーカルの能力と練習が乏しい私にはやはりこれが難関である。どうやら私は、と言うか、やはり弾き語りは弾き語りにふさわしい曲を選ぶのが良いかも…とあらためて思った次第。でなきゃ、たんなるコピーでは学芸発表会みたいになっちゃう。たとえ曲はカバーでも、どこかに演者のオリジナリティがなきゃってね。唐突に難しい話をするけれど、たとえばロックなどは歌詞は聴き取れなくても音楽として成立する。むしろ歌詞などはなくても良いくらい聴き取れない。一方、弾き語りはなにゆえ「弾き歌い」ではなく「弾き語り」と称されるかと言うと、それだけ「言葉を伝える」ことが重要なのだと思う。すると必然、オジサンはオジサンの感性で伝える言葉にこそ、もっとも説得力がある。もちろん青春歌謡がけっしてダメってわけじゃないけど、難しいのは事実。自分の思いを自分の言葉で語るオリジナル曲を作れればベストなのだろうけれど、音楽センスのない私にはムリ。だから、やっぱり選曲は大事だと思う。…ただし、これはあくまでも私だけの持論。音楽ってのは人それぞれの考え方、楽しみ方があってしかるべきで、またそういう自由さが音楽の本当に良いところだと思う。あ、肝心なことを書き忘れた。そういう「音楽を楽しむ」っていう意味で、クックハウス椿はサイコーのステージ。ふだんはブルースがメインなんだけど、著名なアーティストたちも頻繁に出演。ときには今回の「フォークな夜」みたいに、私のようなド素人でも参加できるステージも設けていただけるし。なんと言っても、当人も卓越したブルースマンであり音楽大好きな千葉オーナー、ママさん、そしてここに集まる人たちがみ〜んな音楽好きで良い人たちばっかりで、私みたいな者でも快く向かえ入れてくれる温かい「空気」がとっても好き。「フォークな夜」はほぼ2ヶ月に1度のペースで行なわれるんだけど、私にとっては、楽しみのひとつというよりもむしろ生き甲斐のような存在。毎回意気込んで参加して、毎回トチって凹んで…なんだけど、それでも楽しい「フォークな夜」。大好きだ。

↑撮影:MCしま〜氏
↑ひさむらこうじ(なぜか出演者リストは「yocoの社長」)は40:04〜
↑撮影:MCしま〜氏
↑ひさむらこうじ(なぜか出演者リストは「yocoの社長」)は40:04〜
いままで使っていたガラケーのカメラ機能のお粗末さにはホトホト閉口していたので、新調した「ガラケー機能付きデジカメ」がもう楽しくて楽しくて…。おもしろがって何カットかテスト撮影してみたんだけど、いざ画像をパソコンに送ろうと思ったら…はたと困ってしまった。このケータイの付属CDはWindowsのみ対応。ドライバがインストールできない。調べてみるとdocomoのケータイは、そのほとんどがMAC非対応とのこと。まさか、MACユーザーは全員がsoftbankを使っていると思っているのか。それともApple社に対する恨みなのか。ま、そんなことはMACユーザーの私たちにとってはよくあることなので、何か手があるはず…と探ってみると、幸いにもこのガラケーにもbluetooth機能があることを発見。bluetoothでの接続を試み互いの認識までの設定には成功したものの、なにゆえかすぐに接続が切れてしまう。何度トライしてもダメ。この先は私の知識や技術ではどうにもならない…と諦めかけたとき、ケータイ側の接続設定にmicroSDをダイレクトにUSB認識させる機能があるのを見つけた。お、これでなんとかなるのでは…とパソコンに繋いでみると大成功。正直これは嬉しかった。ちょいとひと手間が必要だけど、これでデジカメのデータをパソコンに送り込むことができる。なんたって、画像を1枚1枚ネットを使って送っていたのでは時間もかかるし、使用料の安いガラケーを使っている意味がまったくない。それにしても付属CDを最初からMAC対応にしておいてくれれば、こんな面倒な作業は不要だし、もっともっと多くのパソコンとケータイの互換も行なえるハズなのに…。docomoもi-phone導入はまだ断念しておらず、地下でApple社との交渉は続いているらしいから、もうすこしMACユーザーにも優しい製品づくりをして欲しいものと思う。せめてi-phoneと競合しないガラケーの分野においては。
参院選の公示されて2日。この選挙の注目点のひとつに、初のネット解禁選挙であることが言えよう。我が国よりもひと足早く昨年2月に解禁されたお隣の韓国では、これにより投票率がかなり上がったそうな。とくに若年層の伸び率がきわだって高く、政治への関心の強まりに貢献した…と分析できる。さて、日本ではどうだろう。解禁になったとは言え、これに関心を強く示しているのは政党や候補者たちだけで、有権者たちはいまいち冷めているような気がするが…。これは、ネットによる選挙活動に有権者が慣れていないことと、選管自身も戸惑っているように、どこまでやって良いか、公選法のボーダーラインがハッキリわからないことによるのではなかろうか。私が知る少ない知識で語るならば、まず、メールはダメ。SNSやブログでのカキコは自由だが、対立候補の誹謗中傷はぜったいダメ。それと、偽名やハンドルネームによるカキコもダメ。これらはすべて公選法違反にあたる。SNSやブログを利用されているネットユーザーは多かろうと思うが、実名を使われている方はまだまだ少ないので注意が必要である。逆に言えば、実名でブログを書いている私は特定候補の応援記事を書くことができるわけだが、困ったことに誰を応援すべきか、いまだに決めかねている。やはり問題は、ネット解禁がどうの…という以前に、政党や候補者の質にあるのかもしれない。とくに今回の参院選は。
届いた、届いた、届いた。先般Amazonで購入した新しいケータイが。で、さっそくdocomoショップへ直行。なにが心配か…って、正規の店ではないところで買ったケータイは、ごく稀にロムにロックが掛かっていて使用できないことがあるらしい。万一ロックが掛かっていた場合、返金や同等品との交換などの保証を多くの店は設けているけれど、これも絶対ではない。とりあえず、ちゃんと使えるか否か確認しなくっちゃ。平日の午後ならば空いているかと思いきや、たまたまタイミングが悪かったのか、待ち時間はなんと1時間。その間、必然的に耳に入ってくる店員と客のやりとりを聞いていると…ほんと店員の苦労が偲ばれる。ひとつの窓口の客はすこし理解力に乏しい知的障害を持たれた方のようで、店員が延々とていねいに説明を続けている。私が入店する前からだから、おそらく優に1時間は超えているだろう。また別の客は「タブレットのスイッチが入らない」と相談。店員「5秒以上長押ししていただければ入ります、やってみてください」客「ほらダメでしょ」店員「いや、ですから、もっと長く押し続けてください」などと押し問答。挙句のはてに「このタブレット、ポルトガル語にならないんですよ」。どうやらこの客、ブラジルの方らしい。「あの〜、ご覧になっているサイトが日本語のサイトなので…」そりゃ、当然だろが。次の客は、私と同年輩かもしくはちょいと上の農家のオヤジ風の方。ケータイに関する知識がほとんどない模様で、店員の質問と彼の答えがまったくかみ合っていない。あたかも漫才。隣で聞いていた私はおもわず吹き出しそうになってしまったがグッと我慢。それでも店員は客を怒らせないようにていねいに説明し、なんとか客の要望に応えようと一生懸命。私なら半ギレしてしまいそうなところなのに、エライなぁ…なんて感心してしまった。そして、ようやく私が窓口に呼ばれ、機種変更の手続き開始。窓口のおネエさんがえらくべっぴんさんで「ずいぶんおキレイな方ですね」って、おもわず口走ってしまった。そしたら「ありがとうこざいます」ってニッコリ。この一瞬で、1時間待たされたイライラもすっ飛んだ。機種変更のついでに料金設定の見直しもしていただいて、そして案じていた端末のロックに関してもノープレブレムで、旧機種からのデータ転送も行なっていただいて無事完了。ウキウキ気分で帰社して、あらためてケータイの機能をチェックしてみると…お、す、す、すっげー。こいつはケータイというよりも、むしろデジカメ。通常のケータイに付属しているカメラとはまったく異なり、光学3倍ズームやストロボが搭載されていて、見かけも機能ももはやデジカメそのもの。一方ケータイモードに切り替えると画面はタッチパネル。ガラケーなのに、まるでスマホみたい。高額なスマホ料金など到底支払えぬガラケーユーザーの私にとって、これはありがたい。ゲームなども内蔵されていて、たとえば電車移動時の暇つぶしにも使えそう。ネット情報である程度は知っていたが、実際に使ってみると、機能も操作性もすべて期待以上。Amazonの別のショップで購入したシリコンケースもドンピシャサイズで、ホールド感もグー。まるで新しいオモチャを与えられた子どものように、私は有頂天になった。で、さっそく、このカメラ機能で写真を撮ってブログにアップしようか…と思ったが、たとえどんなに優れたカメラでも、さすがに自身を写すことだけはムリなんだよね。あ、あたりまえか。
