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カテゴリー「ビジネス&ライフ」の記事一覧
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かれこれ30数年前、私が宣伝会議のコピーライター養成講座で広告の勉強を始めた頃からそうであったが、イメージ戦略がとても重要で、それゆえクリエーターにとって難しくまたやり甲斐のある広告のひとつにビールがある。で、最近私が気に入っているのが、キリンの「澄みきり」のCM。これは発泡酒なので正しく言えばビールじゃないんだけれど、「キリンじゃなくちゃつくれないものを、もう一度つくろう。」っていう開発コンセプトがいい。そして、なんと言ってもCMで流れるあの名コピー。「思いは伝えなきゃ思っていないのと同じだぞ。」「自分のことを信じられないやつを、他の誰が信じるんだ。」。いい。じつにいい。胸にグサッと来る。広告はもちろん音楽などの芸術もそうだけれど、人から人へ何かを伝える媒体や行為には、そこに「いかに共感をいだかせる」が重要。そうした点からも、このCMはまさに私のドツボ。とくに後者の「自分のことを…」ってやつは。自分が変われば周囲も変わる。他人のことをとやかく言う前に、まずは自分が変わること。ほら、仏の教えにも良い言葉があるでしょ、「因果応報」って。



キリン「澄みきり」CMギャラリー

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若い頃はクルマにこだわった私であるが、近頃はとんと無頓着。たんなる移動のためのツールでしかない。走るゴミ箱と化した愛車は、洗車どころか点検まで怠っている始末。最近ステアリングが妙にブレて走りが不自然だなぁ…と感じつつも、忙しさにかまけて、ずっとそのまま乗っていた。ところが、昨日の浜松からの帰り道。さすがにステアリングの取られ方が尋常ではない。帰宅後タイヤをチェックしてみると、前輪の溝がかなり減っていて、右側前輪はなんと一部が裂けて編み目まで露出しているではないか。ぎょへ〜!私はこんな状態で浜松の街中を走り回り、そして帰ってきたのか。この症状が出始めたのは数ヶ月前だから、おそらくタイヤの亀裂はその頃からすでに始まっていたのだろう。恐ろしや。これを見たら、さすがに恐くなって取り急ぎ近所のオートバックスへ直行。幸か不幸か、手持ちの金で買えるタイヤは1種類しかなく、優柔不断なA型人間の私も、お陰でなにも迷うことなく購入タイヤを決定。ピットが混んでいたので待つこと約1時間。新品タイヤでウキウキしながら帰社。安心感があると運転も楽しい。なんたって、昔のブリヂストンのスローガンじゃないけれど「タイヤは命を乗せている」もんね。ちなみに、このスローガンを決定するときには“命”という言葉が過激過ぎないか、マイナスイメージを与えないか…などが争点となって大もめにもめたらしいけど、私は端的でとても良いスローガンだと思った。今回タイヤを買ってしまったことで、念願のピックギター購入は当分諦めざるを得なくなってしまったけれど、これもしゃーないね。なんたって生活が第一だもの。おー、生活が第一と言えば、ちょいと前。衆議院総選挙の前には「国民の生活が第一」なんて政党があったような気がしたけれど、あれはいったいどうなってしまたんだろう。これと似たような「維新の会」なんてのもあるけれど、こちらは都議会議員選の惨敗を受けて代表のひとりがやめるとか、やめないとか。そもそもひとつの政党に代表がふたりもいること自体がおかしいし、主義主張も違うのだから、元の「維新の会」「太陽の党」「たちあがれ日本」の3つに分党したほうが良いんじゃないのかな…と私は素直にそう思うんだが。なにはともあれ、夏の参議院選挙も近いというのに、自民党や公明党の対抗基軸となる骨のある政党がないことは事実。これで本当に良いのだろうか、わが日本は。…と、入口と出口のまったく異なる話をブログに書いてしまう私。もしや、だいぶアタマも疲れてる?

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昨夜は高専時代の旧友たちと浜松で、年に1〜2度開催している定例「男子会」。今回は、卒業以来37年ぶりに顔を会わす新顔も2名参加。いつも以上に懐かしい顔ぶれと話題。気持ちも若い頃に帰って楽しいひとときを過ごした。1軒目は恒例のTROMBA板屋町店。若い女性に人気の、私たちオジサン族はやや不似合いのお店だけど、イタリアンが美味しく小洒落た雰囲気とスタッフがとても心地よい。2軒目は赤電で移動して、元浜町にある、歌手の小椋寛子さんが経営するスナック「ともだち」へ。彼女は私たちとタメで現在57歳。カラオケ好き、とくに演歌好きの方が集まる店として有名らしい。3軒目は田町のtomo。33歳の若いママ、トモコさんがひとりで仕切っているカウンター9席のみの小さなバーで、こじんまりとした居心地のよい店であった。話は尽きず、2時にホテルへ戻ったあともしばし談笑。床に着いたのは3時頃だったろうか。不思議だな。37年経ってそれなりにオジサンにはなったけれど、根本の部分は若い頃とみんなちっとも変わっていない気がする。人ってきっとそんなに簡単に変われるものではないのだろう、きっと。ところで、酔っぱらっていたのでそのときは気づかなかったけれど、昨夜ハシゴした3軒は、みんな名前が“と”で始まる店ばっかりではないか。これもなにか奇遇だなぁ…。

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最近の私のSNSは、もっぱらfacebookオンリー。と言っても記事を書き込むことはほとんどなく、「友達」の記事を読んで「いいね!」したりコメントを書いたりするのが主体。でも、ホントのところはfacebookのシステムがよく分かっているわけではなく、自分でも使える機能をただなんとなく使っているだけ。なかでもとくに解せないのは、「シェア」の記事の疑わしさ。元記事が、私が知っている方から発せられたものであれば疑うまでもないが、発信元がどこの誰かも分からぬ記事に関しては、その信憑性を疑ってかかるに越したことはない。実際、ガセネタや作られた美談なんてものも、かなり多い。記事の真偽を確かめもせずに「シェア」することは「友達」に対して罪であるし、うかつに「いいね!」を押すこともはばかられる。そんな怪しげな記事が飛び交うのがネット社会であり、とくに怪しいのがSNS経由の記事である。そして、もうひとつ解せないのは、見知らぬ方からの「友達リクエスト」。プロフィール写真は可愛い女の子なんだけど基本情報がほとんどなく、その子の「友達」も知らない方ばかり。まったく接点がないハズの私に、なにゆえ「友達リクエスト」してくるのか、さっぱり理解できない…そんな「友達リクエスト」が2週間に1度くらいのペースで届く。いくら「友達は多いほうが良い」と言っても、そんな得体の知れない方と「友達」になるのは、あまりに不気味。リクエストが届くといつもすぐ削除しちゃうんだけど、今日届いた「友達リクエスト」だけは、判断に困った。というのは、知らない名前、基本情報がない…ってのは同じなんだけど、その子の「友達リスト」に共通の「友達」がすっごくたくさん載っていたから。もしかしたら、本当は知っている子なんだけど私が忘れているだけか。それとも、やはり怪しい「友達リクエスト」なのか。もし前述だとすれば、それを相手や「友達」に問いただすのも失礼な話だし…。基本情報がちゃんと書かれていれば、こんなに悩まずに済んだのかもしれないが、さて困った。「承認」するべきか「破棄」するべきか、どうしよう。ちなみに明日は、久々に浜松で高専時代の仲間たちと「男子会」でお泊まり。いまから、ちょいとウキウキ。やっぱり「友達」はリアルがモアベターだな。

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部屋の中にいても熱中症になってしまいそうな昨日、今日。そういや昔は熱中症なんてものは誰も知らず、ずいぶん危険な思いをしたものだなぁ…と、いまさらながらに思う。たとえば部活では「練習中に水分を取ると疲れが出る」という理由で水を飲むことは禁止されていたし、それでもし具合が悪くなれば「根性が足りない」と教官や先輩から厳しいシゴキを受けたものである。私が経験した、いま思えば明らかに熱中症と思われる事例はふたつ。まず最初は高専時代。その頃の私の“足”は、家庭教師とパチンコ店の店員とゴルフ場のキャディのバイトで買った中古のYAMAHA HS-1。空冷2サイクル2気筒の90ccバイク。90ccでツインエンジンなんて、この兄弟車のHS-90を除いて後にも先にも、おそらく他にないのではなかろうか。まだ若く走り屋だった私は、友人の4サイクル単気筒のHONDA SL90とよく走り比べをしたが、立ち上がりの加速はHS-1が圧倒的に上。街乗りにはまさに最高のバイクであった。余談が長くなってしまったが、ある暑い日に、このHS-1が途中でエンコしてしまい学生寮まで押して歩くことに。どのくらい歩いた頃か、突然目に映る景色がすべて黄色に変わり、意識が遠のきそのままバイクとともに倒れ込んでしまった。炎天下の中で。あいにく場所は農道で、人通りはほとんどない。再び意識を取り戻したのは、すっかり日が西に傾いてもうじき夕闇が訪れようとしている頃だった。おそらく気温が下がったことで、体調が回復したのであろう。見るものすべてが真っ黄色の世界を、私はそのとき初めて体験した。次は15年ほど前。PTAの奉仕活動で古新聞回収をしていたとき。私はトラックの荷台に乗り、集められた古新聞を受け取って載せる作業をしていたのだが、途中でだんだんクラクラし始めた。もうじきすべて積み終える頃には半ば意識もうろう。もし熱中症というもの知っていれば、そこで作業をやめて誰かに事情を告げて休憩したのであろうが、当時はそんな知識もなく「なんて私は体力がないんだ」「根性であとひとふんばり」と最後まで。そして、ようやく作業が終わった頃にはすでにフラフラ。言葉を発する元気さえなく、トラックから降りて一目散に木陰へ行って横たわった。どれくらい横になっていたのか、気がついたときにはトラックも一緒に作業をしていたPTAの方々の姿もすでになくなっていた。その後、水道へ行き水をガブ飲み。いま思えばこれも軽度の熱中症だったのだろうが、そんな予備知識はなくとも、涼しい木陰で休んだり、水を飲んだり…と、人は自然に自衛の手段を取るものだな、あらてめて思う。ただし、これも程度問題。若かった昔と違い、回復力だっていまではきっと劣っているに違いない。無理をせず、マメな水分補給に心がけなくっちゃね。しかし、ホント暑いなぁ。マジ暑い。いったいどうなっているんだ、今年の梅雨は。

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6月の第3日曜日、つまり昨日は「父の日」だったんだね。みんなのSNSを見て初めて知った。プレゼントした人、された人。おそらく一様に良い思い出となったことであろう。ところで我が家では「母の日」「父の日」の類いの儀式はいっさいない。もちろん、だからと言って家族の絆が稀薄というわけではけっしてない。私のボケと家内の天然ボケと、それに対する家族のさりげないツッコミで、毎日けっこう楽しくやっている。そもそも振り返ってみれば、37年前に私がサラリーマン生活から卒業したときから、ずっと生活面・経済面で迷惑をかけてきた私のわがまま人生に付き合ってきてくれたのだから、ま、言わば毎日が「父の日」みたいなもの。けっして皮肉ではなく、心の底からそう思っている。家庭における父親ってのはじつに微妙な存在で、動物学的に言うと、母親と子どもは真の家族であるが、父親は社会が築いた形式的な家族。かつて昔、戦争で亡くなっていく兵士たちが最後に叫んだ言葉は「おかあさん!」であり、ひとりとして「おとうさん」と呼ぶ者はいなかった…ということからも、それはよくわかる。でも、日々の生活のなかではたいして役に立たない父親も、精神的な支柱としての役割はおおきく、また父親である私たちまたそんな家族を心のよりどころにして生きている。ちょいと理屈っぽくなっちゃたけど、なにはともあれ親父は家族とともにあるのだよ…ってね。がんばれ、世界中の親父たち!そんなことを、あらためてふと思う「父の日」である。

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昨日と今日の、世のブログネタのナンバーワンは、やっぱりサッカー日本代表チームのワールドカップ出場決定であろう。そんななか、ちょいと違った角度から注目を浴びたのが、渋谷スクランブル交差点のお巡りさん。「このマイクを持ったお巡りさんも、みなさんと気持ちは同じです」「お巡りさんからイエローカードをもらう前に歩道に上がってください」「いいですか、みなさんはチームメイトです。チームメイトの言うことを聞いてください。お巡りさんだって、こんないい日に怒りたくありません」「お互い気持ちよく今日という日をお祝いできるように、ルールとマナーを守りましょう」…ってね。けっして上から目線ではなく群衆の心理を上手くつかんだスピーチは、多くの方々から高評価のようで、ネットでもかなり話題になっている。確かに、話術の力ってのは偉大。かつて私がPTAの役員をやっていたときの教頭先生がとても話術に長けていて、彼のひと言でみんなが納得。紛糾しそうな難しい議題も、すべてまるく納まったものである。魔法とは言わないまでも、話術には人の心をコントロールできる、そんな不思議な力があると思う。プレゼンも、営業トークも、ライブでのMCも、友だちや家族との会話も…。すべてのコミュニケーションの礎となる話術をもっと大切にしなくっちゃ…と、あらためて思わされた、そんなひとこまである。

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PROFILE
HN:
久村孝治
年齢:
68
性別:
男性
誕生日:
1956/03/02
職業:
広告制作会社 代表取締役
趣味:
ギター、ラジコンヨット、仕事
自己紹介:
30歳にて広告代理店を退社し独立。以降、四半世紀余り広告制作会社を営む。モットーは、仕事も遊びも楽しくマジメに!
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